【第一回座談会】2018年アニメ総振り返り②


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三ツ岩 先ほど少し話が出た「宇宙よりも遠い場所」(よりもい)についてもう少し伺いたいんですけど。 革新的な舞台設定、という話でしたよね。高校生4人が南極に行くという。

虎太郎 「宇宙兄弟」とか、宇宙に苦労していく、みたいな話に対して、南極というのはギリギリ女子高生が行けそうで行けない。そういう意味では絶妙なチョイスです。

立月 宇宙同様、日常からは遠い場所ですしね。遠いようで比較的行けそう。だから比較級でのタイトルになったのかなと今ふと思いました。

虎太郎 「ガールズ&パンツァー」であるとか、「ゆるキャン△」であるとか、女子高生がらしからぬ趣味をする系列には、「隔離されている」というのがやっぱり大切なんですよね。*1

立月 ヤマノススメ」しかり。「はるかなレシーブ」しかりね。 あと「ハナヤマタ」とかもそうですよね。

三ツ岩 隔離されることで特別な効果が生まれると?

虎太郎 やっぱり女子高生はフィクションでは恋をしてしまう。だから、そういうところから隔離して、女の子同士の純粋な関係性を描きたいんだと思います。どの作品もほとんど男性は出てきませんし。

立月 隔離された世界だからこそそのある種異色な趣味が当たり前に見える。 男性が出てこないというのも結構重要なポイントですよね。

葵の下 男性の出て来なさ、はまどマギみたいな感じですか?それとは違う?

虎太郎 あれよりもさらに排除されていると思いますよ。例えば「宇宙よりも遠い場所」に話を戻すと、「女の子同士が仲良くする」というより、「仲良くせざるを得ない」ような環境だと思います。だって女子高生は4人しかいない。男性を巡って衝突したりのしようがない。

立月 宇宙よりも遠い場所」では男性は登場するのですが、かなり年上のお兄さんといった人物ですしね。しかもダメダメだし。(笑)

三ツ岩 なるほど。それによって女の子同士の関係というのが描けると。同年代の男子は、「よりもい」に持ち込んでも雑味にしかならなさそうですね…

葵の下 アニメにおける「女の子同士の関係」っていうのは面白いテーマかもしれないですね。

虎太郎 男性キャラが出てくると、やっぱり女の子同士の関係は「どっちが選ばれるか」という話になってしまうと思う。南極でそんなしている場合じゃないんですよ。

踊るサバ BLの場合も同じ論理なのでしょうか。BLに詳しくないので分からないのですが、BLの場合は恋愛要素が強いように思います。

虎太郎 BLや腐女子をその問題系で位置付けようとしたことがありますが、*2難しいですね。一応論理的には当てはまるんだけれど、腐女子たちの自意識からは切り離されてしまう。

葵の下 でも、よりもいはいわゆる百合ではないんですよね?

立月 あれはむしろ青春群像劇というのがふさわしいかと。

三ツ岩 女性同士の恋愛を匂わせる描写はほとんどなかったように記憶しています。

立月 本人同士はあくまでも友達として大切な存在として認識している。それが分かるのがひなた回だったりしらせを心配するほかの三人の様子ですよね。

葵の下 じゃあ、よりもいはBLとは違うけど、異性からの隔離のされ方は似ているのでしょうか?

虎太郎 BLは異性から完全に隔離されているとは限らないと思います。「Free!」や「黒子のバスケ」は腐女子に食い物にされがちな作品ですが、マネージャーとかは出ます。*3

立月 あれはBLと呼んでいいのですかね。あれがBLになるのは二次創作においてじゃないですか?

虎太郎 でもわざとやっているでしょう、多分。

立月 それは否めないですね。

虎太郎 「BANANA FISH」とかはかなり同性愛表象がはっきり出てくるけど、確かにギャングの世界の話で、女性はあまり出てこないですね。*4

立月 ダーリンインザフランキス」なんかは同性愛と異性愛が両方登場する作品で、こういうのは珍しいかとおもうのですが。

三ツ岩 今期の「やがて君になる」はかなりガールズラブ、所謂百合をストレートに扱った作品ですが、同年代の男子もストーリーに関わってきます。「選ばれない」対象を敢えて出すことで、同性を選ぶという選択を強調しているんじゃないかと。「よりもい」では、かなり扱いは小さいですが観測隊員同士の異性愛も描かれてましたよね。結局上手くはいきませんが。

虎太郎 女子高生4人が南極に行く、というストーリーの外側には、典型的なお仕事ものというか、そういう構造があるんだと思います。南極観測隊の恋愛はこんな感じです、みたいな。

立月 特殊な世界を包む形で一般世界が存在する?

虎太郎 文科省やら南極観測隊やら、あちこちへ取材して構築される世界の中に、女子高生4人組が投げ込まれる感覚というか。

立月 一種の異世界ものですかね?(笑)

葵の下 外部を描いた方が特殊さが際立つってことなんでしょうか。

虎太郎 うーん……アニメというか、自分はテレビドラマがメインのつもりなのでそっちで言うと、近年お仕事系が明らかに増えてきているんですよ。

三ツ岩 お仕事系ですか。

虎太郎 多分、『蟹工船』が流行るとかその流れなんですが、プレカリアート運動とかもあって、「労働者まだまだやれるぞ」みたいのが。

葵の下 テレビドラマなら例えば?

虎太郎 「半沢直樹」とか典型的にそうですよね。*5その系譜に「この人たちも少ない予算で頑張って南極行ってます、労働者まだまだやれるよ!」的にこの作品が位置付けられるんではないかと。

葵の下 さっきの指摘は、その要素がよりもいにも見られるということでしたっけ。
三ツ岩 半沢直樹の圧倒的な高視聴率は、そういった労働者の気運の高まりと合致した結果ということでしょうか。

虎太郎 だと思いますよ。中間管理職のしがない労働者が、悪い上司をこらしめる、まだまだ頑張ろうぜ俺たち、というか。いわゆる「キモくて金のないおっさん」問題*6で、「キモくて金のないおっさん」はアニメ好きですから。(笑)

三ツ岩 なかなか辛辣な言葉ですけど、的を射ていると思います。

立月 そういうおっさんは女の子が出てくるアニメが特に好きですしね。(笑)

三ツ岩 「よりもい」でもう一つ特徴的なのは、しらせが南極に母親をさがしにいくことですよね。母子の絆が主題に置かれますが、ここでは父性は無視されている。父性が無視されるアニメって結構あると思う、みたいな話なんですけど。

立月 宇宙よりも遠い場所」では実際の父は出てこないけれど南極観測隊の隊長は擬似的父だと思うのですが。 

虎太郎 藤堂を「父」と見るのは面白いですね、「母」と見てしまうから。

三ツ岩 しらせに縄跳びを教えるシーンなど特に印象的でしたけど、本来なら父が教えるものですよね。

立月 藤堂は高校生四人を律する側面もあれば、しらせを優しく包む側面もあって「父」のようではないですか?それに隊員をまとめあげる人物も藤堂ですし。そう、しらせの父は出て来ずに藤堂がでてくる。

虎太郎 「ドクターX」であるとか、男性社会の中で活躍する場合は「サバサバしている」みたいなことが女性に求められるわけですよね。藤堂の父親然とした性格も、そこに起因するのかな、と。

三ツ岩 藤堂の役割を、お仕事系における女性鼓舞の延長と考えるか、或いは父性の代替と考えるかは意見が分かれそうですが。 僕は単純に「よりもい」が強い女性を描こうとしてるのだと思ってました。鮫島弓子の存在に引っ張られたところが大きいですが。

立月  鮫島はむしろ姉といったところでしょうか。

三ツ岩 藤堂を父と考えると、鮫島は姉に当たると。

立月 そう。そして母は絶対に前川。

三ツ岩 女子高生と藤堂、ひいては観測隊全体の間に入る潤滑油のような活躍が印象的でしたね。

立月 そうですね。女子高生に細かく声掛けをするのは前川だし、常に藤堂をサポートするのも前川。

三ツ岩 それが家族における母の役割に相当する?

立月 そういう言い方だとある方面から怒られそうですが。(笑)そういうことです。

虎太郎 ちょっとフェミっぽく怒ってみると、それっておかしくないだろうか。つまり、子供達と権力者=父をつなぐ役割でしかない、ということになる。

立月 作中でも何回か登場しますが、前川はかなりデキる女性ですよね。そこを踏まえると単につなぐだけに留まるはずがない。先述したのは特に濃い部分だと考えてください。

三ツ岩 僕も似たような考えなんですが、繋ぐ役割に担わされているのではなくて、寧ろ母にしかできないことなんですよね。

立月 というと?

三ツ岩 脳構造的に男性はシングルタスク向き、女性はマルチタスク向き、というのは最近眉唾だと言われていますが。事実として、「全体を見る」能力にかけては女性の方が圧倒的に得意なんですよね。というか男が下手。そういう意味では、全てを取り持つ役割にある母親は、家族という形態の中でも最上位存在なんじゃないかって。

虎太郎 亭主関白な家でも実は母ちゃんが一番偉い、みたいな話ですか?

三ツ岩 財布の紐を握っているとかいうこと以上に、能力として優れていると、最近はよく感じます。

虎太郎 個人的には、藤堂隊長を母になれなかった存在として見ていたので面白いと思います。

立月  藤堂としらせって似てますよね。それもかなり。

三ツ岩 似た者同士、を強調するような描写も多かったですよね。ペンギンに対する反応とか。

立月 そうですよね。たか子を間に置いて繋がった二人が類似していて、それがとても自然に受け入れられる。

虎太郎 話全体を通して思ったのは、しらせは本当に母の痕跡を探したかったのか、という点なんですよね。「探す」とか「南極に行く」ということ自体が、手段ではなく目的化しているような感じがある。だからこそ(母の痕跡を探しに行く)直前にひよったりするわけですよね。

三ツ岩 南極到着の時も、最初に出てきたのは「ざまあみろ」でしたね。

立月 痕跡を探すのが目的ではなかったでしょうね。作中でも何度も「私はお母さんのところに行く」って言ってますしね。行くことが目的になっている。

虎太郎 行くと何か変わるか、というのはわからないんだけれど、とりあえず南極に行こう、という。

三ツ岩 目的の話だと、しらせは最後に南極に100万円を置いていきますね。あれは目的の再設定なのかな、と思ったんですけど、その辺はどうなんでしょう。

立月 あれは過去との決別ではないでしょうか。

虎太郎 母親のパソコンも越冬させるために置いてきますけど、親友と日本に戻る過程で母親の痕跡を残すものを持ち帰れなかった。今は母がいなくても友達がいるから、という話のような気がしないでもないです。

立月 今までは南極に行くためにバイトをして百万円を貯めていたのにそれをおいてくる。もう来ることはないという意志の表れではないですかね。

三ツ岩 でも、また4人で旅に出ることを約束しますよね。その行き先はもう南極ではないと。

虎太郎 「また来ようね」と言いつつ、来ないことを内心理解しているってことですか。

立月 そうですね。四人で行くことが目的になっている。

虎太郎 斉藤由貴の「卒業」という歌の歌詞に「ああ卒業しても友達ねそれは嘘ではないけれどでも過ぎる季節に流されて会えないことも知っている」というのがあるんですが、そういう感覚ではないんでしょうか。基本的に近年の女の子同士が高校生らしからぬものをするシリーズでは、友情があたかも永遠に続くかのように描かれるわけだけれど、この作品では結構そこが怪しい、と思ったんですが。

立月 会えないことを知っていながらも欺瞞的に再開を約束するという感覚は言われるとそれに近いような気がしますね。

三ツ岩 4人とも日常がバラバラですからね。

立月 でも少なくともきまりとしらせは同じ高校に通うし、ひなたにだってコンビニに行けば会える。完全に崩れるわけではないのかなとも思いますね。ただ問題は結月なんですよね。彼女だけ簡単には会えない。

虎太郎 なんというか、高校時代の文化祭や体育祭の感覚というか、「こんなに仲良いのはイベントの最中だけなんだろうな」と感じつつ、それを口に出すと本当にそうなってしまう気がして、みんな言わない。みんな「これからも仲良し」ということにする。

三ツ岩 芸能人として成功すればするほど、他の3人とは会えなくなる、というジレンマを抱えています。

虎太郎 明らかに「離れていても親友」というのは欺瞞ですよ。

三ツ岩 でも、この4人は、「この4人じゃないと駄目だ」という特別な事情があることも事実ですよね。親友と絶交した人、そもそも友達がほぼいない人、部活だけでなく高校にも行ってない人、そもそも友達の作り方さえ知らなかった人。まあこの4人でなくとも、とはならないところは唯一の救いだとは思っていますが。

虎太郎 そういう点で言えば、この物語は明らかに4人の成長を描いているわけだけど、話が終わった後の4人の日常には全く変化がない、「終わらない日常」を「まったりと生きる」生活に戻るわけですよね。宮台真司的というか、朝井リョウ*7的というか。

立月 当たり前のことではありますが非日常の裏に日常があることが絶対的な真実として置かれている。

虎太郎 だから越冬できず帰ってきたわけです。

立月 一種の時間的制約がかけられているとも言えますよね。

三ツ岩 時間的制約によって難局が「非日常」のまま保存される、というのはあるかも。決して「日常」にはならない。

立月 時間的制約によって南極が非日常になるという話なんですけど南極って普通非日常じゃないですか?(笑)

三ツ岩 その普通の「非日常」が「非日常」のままある、ってことですよ。

虎太郎 流石に冬までいたら、ちょっと日常になってくるというか。そういうのはあるかもしれない。

立月 慣れてくるってことですね。

三ツ岩 だってずっと昼だったり夜だったりしますし。やがていつもの寒さ、いつものジャガイモ剥き、いつものメンバーになっちゃう。

虎太郎 というか、大学に行くかギリギリっていう彼女たちの時期も、進路を選びとって羽ばたく絶妙な時期ですよ。

踊るサバ 高校2年生ですね。

立月 高2ですね。結月が高1。

虎太郎 「越冬隊に混ざりたい」みたいに言った時、「受験があるだろ」と言う、あれが結構リアルで好きです。

三ツ岩 日向がまあまだ受験考えなくていいし、と言ってたと思うんですけど。逆にいうと帰ったら受験を考えなきゃいけないってことかもですね。

立月 でもひなたってあの中では一番受験に本気ですよね。

三ツ岩 高校行ってないからこそいい大学行ってやる、みたいな。

 

 

【第一回座談会】2018年アニメ総振り返り③に続きます。

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*1:ガールズ&パンツァー」であれば学園艦、「ゆるキャン△」であればキャンプ場、という形で男性のいない空間を構成している。(虎太郎)

*2:ホモソーシャルな関係の中で、あくまで「選択される」客体であることに辟易した女性が、「選択する」主体として自らの参画しない男性同士の恋愛を妄想する、という構造を構想したものの、これでは腐男子や百合の存在が説明できない。現在は、これらを分割して理論づけていく方向で構想中である。(虎太郎)

*3:どちらの作品も出てくるマネージャーは、男性そのものではなく、男性の「能力」を見るという点には注目されたい。(虎太郎)

*4:Free!」と同じ内海紘子の監督作品だが、特に「BANANA FISH」は明らかにお互いが「友情」以上の感情を抱いているのにも関わらず、あくまでそれを「親友」と呼び続けることがポイント。つまり、恋愛関係という対等な関係が築けないような背景を抱えているということを示唆する。(虎太郎)

*5:半沢直樹」以後の池井戸潤原作ドラマももちろん、「ファースト・クラス」「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」など、自分の仕事にやりがいを見出し、奮闘し周囲をギャフンと言わせるような系統は多い。(虎太郎)

*6:主にロストジェネレーションと重なるとも考えられるが、基本的にはキモいが故に女性にモテるようなこともなく、金がないために生活も困窮していく行き詰まった状況の男性。(虎太郎)

*7:管見では朝井リョウ作品の大きな特徴は、小説が終わったあとの生活が、小説が始まる前の生活とさほど変わらないという「絶望感」にあると思う。しかし本来、物語を経て未来が大きく変わる、というよう展開こそ非リアリズム的なのであり、こちらのほうが普通のようにも思われる。(虎太郎)