【第一回座談会】2018年アニメ総振り返り③


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三ツ岩 では「シュタインズ・ゲート ゼロ」にも触れていきましょう。

葵の下 虎太郎さん、以前「シュタゲゼロ」の話を出してくれた時伏線って言ってたと思うんだけど。どの辺りの? 考察のしがいがある、みたいなその理由が、伏線があるからじゃなかったっけ?どういう伏線を想定していってたのかなと。

虎太郎 というか、まずあのアニメは、明らかにハッピーエンドを迎えるわけですよ。

葵の下 原作って言っても、ゲームの方は○○エンド○○エンド……ってキリがないから、バッドエンドもありうるみたいだし、そこは原作とアニメとで大きく違いますよね。

虎太郎 つまり、現状がどんなに痛ましくても、間違いなく最後は幸せになる。そこに至るまでの道程を、みんな細かな発言なんかから読み解いて予想するわけですよね。

踊るサバ 無印のほうは原作プレイしたんですが、バッドエンドも結構好きですね。正確にはバッドではなくて、別ヒロインルートともいえます。

虎太郎 東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生』曰く、大きな物語が成立しないポストモダンにプレイヤー個人の物語を成立させる試みですね。

三ツ岩 ゼロのアニメそのものが、原作の一つのifルートから作られているんでしたっかけ?

虎太郎 だったはずです。

葵の下 アニメはハッピーエンドで、ヒロインも紅莉栖に固定って感じかな?

虎太郎 一応形式上はよりどりみどりですよね、個人的には別にそこに男尊女卑的な醜悪さは見出しにくかったんですが、どうですか?

葵の下 そうですね。明らかにオカリンモテまくりなのにいやらしさがないのは何故なのかって話は前もしてましたよね。私も醜悪さが見られない、に賛成です。

踊るサバ オカリン、状況的には孤独で不幸ですからね。

虎太郎 今年やってたのでいうと「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」なんかは、異世界で女の子よりどりみどりなんだけれど、かなり醜悪なんですよ。*1なるほど、オカリンの孤独さが理由ですかね。

葵の下 特にゼロは、紅莉栖を救えなかったことに傷つきまくった状態から物語がスタートしますからね。不幸を極めてる。

虎太郎 あえてポリコレを無視していくと、周りの女性たちが「看護婦」として治療していく感じですかね。

三ツ岩 看護婦と患者の関係だと。

虎太郎 今回は白衣を脱いでいるわけですから、まさしく患者ですよ。(笑)

葵の下 それ面白い。あと、岡部は友達としては関わりは多いのだけれど、恋愛対象としては紅莉栖が好き一筋で、ほとんど揺らぎがないところも挙げられるかなと思いますね。例えば、「SchoolDays」なんかだと揺らぎまくるから見てて腹が立つ(笑)

三ツ岩 SchoolDays」の誠はアニメ史上最も嫌われた男主人公なんじゃないでしょうか。*2

葵の下 白衣を着た厨二鳳凰院状態と脱いだただの岡部倫太郎ってことですね。

虎太郎 揺らいでいると、どの女の子にしようか物色しようとしているというか、そういう気持ち悪さですかね。

葵の下 そう。たとえ、まゆりからの告白メールを受けたとしても、そういう反応を一切見せないという。

虎太郎 まゆりが「鳳凰院凶真が好き!」と言って回復するのはどうですか?

葵の下 それはなんか純粋な気持ちで観てたなぁ笑

虎太郎 結構好きなシーンではあるんですが、岡部とまゆりの関係性の名付けがたさみたいのをよく表してると思うんですよ。

葵の下 岡部はまゆりを恋人には選ばないけど、絶対的な存在ではあるしね。幼馴染、かつ、片方は片想いしている。

虎太郎 そう。人質、とか言っているんだけど、実はまゆりも岡部に束縛されているし、岡部も束縛されているんじゃないかという。

葵の下 じゃないとβ世界線選ばないよね。

踊るサバ お互い庇護者なように振る舞っているのは面白いですね。

葵の下 因みにゲームの方のまゆりエンドってのはプレイしましたか?

踊るサバ もちろんですよ。ゲームの構成上、トゥルーエンド(アニメ版)に達するまでに、他のルートを先に見るのが多数派だと思います。*3

虎太郎 例えは悪いけど、例えば戦災孤児たちがお互い助け合って生きているとか、それこそ『火垂るの墓』とか。

葵の下  火垂るの墓なんですかね?

虎太郎 なんか、助け合って生きてるイメージがあるので。

葵の下 戦災孤児といえばすずはとかがり。

虎太郎 まさにいますね。

葵の下 血縁はなくてもかがりは鈴羽お姉ちゃんと呼んでいるし、あの二人の関係は岡部とまゆり的と呼ぶこともできるかもしれない。

虎太郎 ラボメンは基本的にみんなどこか欠点や後ろめたいところを抱えていて、お互いに治療しあっている、という感じがしないではないですね。

葵の下 たしかに。

三ツ岩 一種のグループ・セラピーのような。

葵の下 心に穴がない人っていませんよね。

虎太郎 お互いの穴を塞ぎあっていたり、お互いを肯定しつつ暮らしているわけですよ。それをできてしまうのが、岡部の中二病だと思います。

葵の下 穴というのがあるからこそ、無印の方でのdメールで何人もが過去改変する様子が描けたしね。変えたい過去がある人達。

虎太郎 そしてそれを戻していく作業も辛い。

葵の下 ルカ子…。

虎太郎 ルカ子の闇の深さたるや、という感はある。岡部がルカ子をルカ子として肯定するから、ルカ子はそばに居られるんでしょうね。
葵の下 でもなんか、2036年のルカ子がちゃんと見た目男だったりとか、ある種の救いなのかなって気はした。

虎太郎 むしろ、性自認が女性なら、男性らしく振る舞わざるを得ないのは良くない傾向なのでは?

葵の下 あれは強制だったのかな?

虎太郎 というか、2036年は岡部の中二病的肯定力が力を失った世界だと思うわけです。例えば無印の1話とかが典型なんだけれど、実はあそこの岡部の中二病発言がその後の展開の伏線になっているんですね。中二病的発言は、妄想であり、岡部はそれを肯定してしまえる人間であるがゆえに、周囲の多少の現実も肯定できていたのに、その妄想が現実になってしまった。中二病的肯定力が去勢されるというか。

葵の下 となると、2036年の、ルカ子とシュタインズゲートのルカ子は違う姿なんですかね。フェミニンなままのルカ子が……? 推測でしかないですけど。

虎太郎 そのままでいられるというのも、また1つのハッピーエンドなんだろうとは思います。ルカ子の性自認が女性だとしたりした場合の話ですが。

葵の下 そこも明らかになってないから難しいですね。

虎太郎 はい。ただ、無印にせよ、ゼロにせよ(特にゼロの方は)岡部が中二病的妄想力&肯定力を取り戻す話、という風には受け取れると思うんです。

葵の下 うん。とりあえず「中二病岡部」とそうでない岡部を追いかけることで何か見えてきそう。

虎太郎 その点では無印1話はかなり秀逸なので、あれは国民全員見るべきですね。(笑)

葵の下 関係ないけど「想像力」を思い出してきた(笑)

虎太郎 中二病的想像力。

葵の下 中二病的妄想力・肯定力は現実世界でも機能しうると思います?いわゆるオタクはその力があることで生きやすくなってるとか。あれば面白いかなと思うのですが。逃避かつ勝利のような。

虎太郎 全くその通りだと思います。実際にそういうのが現実逃避として機能している面はありますよね。そして今の社会は「逃げてもいいよ」という風に(まさに「逃げるは恥だが役に立つ」という風に)なりつつある。

葵の下 まゆりなんて、他のキャラに隠されてマトモそうだけど、冷静に考えたらかなり社会不適合ですからね。

虎太郎 基本的にあの登場人物たちは、秋葉原と未来ガジェット研究所以外では生きていけないですから。(笑)

踊るサバ 重症患者だらけですよね。

葵の下 個人的には妄想で逃避するっていう感覚はわかりますね。アニメに限らず、ファンタジー作品を見ても、あらゆるフィクションでもそれに救われるということがある。

虎太郎 現実を直視しないで生きていけるのが中二病的想像力で、結局それが第三次世界大戦のために機能しなくなる。その中二病的想像力を取り戻す物語だと思います。

葵の下 フィクション的なもの、というとSNSでのコミュニケーションも挙げられると思いますが、対象が世界にせよ、そういった何か別の世界、虚構に没入する事で逆に現実を生きる、というのはかなり現代的なテーマかなと感じます。

虎太郎 ゲームというのにそういう特質があるのかもしれないですよね。別の人生を選択しつつ生きるという。選択といえば『君の膵臓をたべたい』も話題になったわけですし。*4

葵の下 今思ったのですが、第三次世界大戦はどう考えても逃げたいものじゃないですか。それなのに中二病的メンタリティを失ったのは、衝撃が大きすぎたからかな?まゆりの言葉を借りるなら「元気が無くなった」のですが。

虎太郎 というか、中二病的想像力が実現しちゃったわけですよね。現実逃避が現実そのものになってしまった。

葵の下 あ、それですね。そうなると機能しない、ということですね。

虎太郎 だと思います。

踊るサバ ゲームの世界が現実に。じゃあ何をして彼らは現実逃避するんですか。っていう言葉を以前見たことがある。

虎太郎 それはどういう文脈ででしょうか?

踊るサバ   ログ・ホライズンという作品の帯のメッセージです。ゲームの世界に入り込む系の作品ですね。

虎太郎 なかなか示唆的ですね。

葵の下 そのコピーは反語だと思いますが、実際、シュタゲゼロ でも患者岡部は、看護婦の力なしでは何も出来なかったというわけですよね。

虎太郎 最終的に看護婦が無理やり中二病的想像力を復活させると。それが「岡部倫太郎じゃなくて鳳凰院凶真が好き」発言でしょう。

葵の下 現代の不幸な行き詰まり。それを打開するのは生身の人間しかないってことなんですかね。生き生きとした人間らしさを考えるときの要素として「感情」重視傾向っていうのはひとつ言えるかなと。

虎太郎 例えば、現在の政治状況に行き詰まりを感じると、国会前に出かけて行ってみんなでシュプレヒコールをする。これも身体的な運動。そしてその基底には「安倍やめろ」という感情的な部分が共有されている。

葵の下 昔のように動物と人間の対比ではなくて、機械と人間の対比がよくなされる。

虎太郎 現代が身体や感情に現状打破を期待するのは、確かにそうかもしれないです。

葵の下 いいね、とか、KYとか。

虎太郎 エモい、とかもそうですかね、抽象的に共有される機械には理解できない感覚。

葵の下 ジワる、のスピードのゆっくりさとか。多分機械にはないのかなって。 第三次世界大戦の引き金は、機械であるところのタイムマシンなわけだし、そう読めなくはないかなと思いますね。

虎太郎 1話には「俺たちがゲームの中の存在だとして、俺たちにはそれがわかるか」みたいな発言に、岡部が「分かるわけがない」みたいに答える。ものすごく人間的な答えですよね。

葵の下 たしかに。他にもそういう「人間らしい」部分は多かったような印象です。

虎太郎 アニメを今年は26本も見た偉大なオタクの立月さん的にはどうでしょう。 オタクは傷ついているのか?ということですが。(笑)

立月 オタクはですね、多分オタクと特別扱いされると調子にのって傷つくとかじゃなくなりそう。(笑)どうせ狭いコミュニティでしかオタク活動は展開してませんし。(笑)

葵の下 特別扱いされること多いんですか?

立月 オタクとくくられて蔑称のように使われることばではないですか?「オタク」って。

虎太郎 出たばかりの頃は蔑称だったと思います。

立月 その蔑称すらも他とは違う存在としてうけとって調子にのる。そんな哀れな生き物なんですよ。オタクって。

葵の下 なるほど。

三ツ岩 今はキモオタ、とわざわざ接頭語をつけなきゃいけないくらいオタクが市民権を得ている時代だと思うんですが。

虎太郎 なるほど、面白い指摘ですね。

立月 オタクの幅が広がったんですよね。

虎太郎 「キモくない」オタクがいると。

葵の下 「私はオタクだから」ってみんな普通に言いますよね。

三ツ岩 そうなんですよね。

立月 軽いファッションオタクがはびこっている。

虎太郎 傷ついた人々の避難所的な意味での「お宅」が、ちょっとアニメ見ます的な意味での「オタク」になりつつある。

葵の下 オタクって本来はニッチな趣味の人のことですよね。市民権獲得されたら、元々の意味が失われてる。

立月 そのくせ俺らを見ると蔑視する傾向にあるのでタチが悪い。

三ツ岩 ニワカ、とかファッションオタク、みたいな「浅い」人とは区別されたい、っていうの、まさにオタクって感じですよね。

虎太郎 よくよく考えると、傷ついた人向けの作品を愛してきたのがオタク界隈だとすると、その作品は一般の人にとっても薬効があるわけですよね。モルヒネ的に。

立月 オタクは基本的に虐げられて生きてきてますから、どこかで優越感だったり存在価値を見出したいんじゃないですかね。

葵の下 傷ついた人向けの作品、心が健康な人は見ますかね?

三ツ岩 そもそも心が健康な人っているんですか?

葵の下 病み方が違うだけとは言えるね。でも、オタクとは違うパリピ的な何か。

虎太郎 あれもあれで麻薬ですよね。痛みを忘れてる。

葵の下 無限ドープみたいなね。よく考えたらEDMフェスの狂乱と、オタ芸って、矛先は違えど本質は変わらないのかもしれない。

虎太郎 その点で行くと、「ヲタクに恋は難しい」とか印象的でした。

葵の下 漫画読みました。

虎太郎 荒んだ労働者の精神を、ヲタ活で癒している。

立月 あれはすごくリアルなオタクの描写だと思うんですよね。現実で疲れたときやしんどい時に推しや二次元に救いを求めるっていう。

三ツ岩 ドラマで癒される労働者と、ヲタ活で癒される労働者がいるんですね。

葵の下 でた現代的崇高。

三ツ岩 アニメの話から逸れてきたので第一回座談会はこのあたりでお開きにしましょう。皆さんありがとうございました。

*1:異世界系とは畢竟、国際的に相対的プレゼンスの下がり続ける日本の、特にこれといった評価も得られない男性の自意識を満足させるためのコロニアリズムの変種に他ならない。「デスマ」でも、主人公の「奴隷」となるような女性が数多く登場するなど、そうした傾向が顕著である。(虎太郎)

*2:SchoolDays」の主人公である伊藤誠は、その好色っぷりと身勝手さから一部のネットユーザーから大変嫌悪されており、ニコニコ動画では「誠氏ね」といったお約束コメントが流行した。(三ツ岩)

*3: 稀に運良く一発でトゥルーエンドに辿り着く人もいるらしい。  (踊るサバ)  

*4:『君の膵臓をたべたい』は「今の自分は選択の積み重ねの上にあること」と「人生は限られているのだ」ということを教訓的に表している。特に前者はそのままゲーム的リアリズムとの共通点を見いだせうる。(虎太郎)