【書評】上田岳弘「ニムロッド」

交換の限界

ここしばらくのブームは「安楽死」と「資本主義の限界」らしい。

いわゆる「意識高い系」が「資本主義こそ最大の革命である」みたいなことを言う一方、やはり文学などの界隈からは、「資本主義の限界」ということが長らく言われてきたのだけれど、近年シェアリングエコノミーだとか、仮想通貨だとか、「通貨と等価の商品・サービスを交換する」ということ自体への懐疑が表立ってきたのかもしれない。

この小説がの主人公は中本。サーバーの管理会社のようなところに勤めていて、利用されておらず稼働していないサーバーを、ビットコインのマイニングに使うことにする。

ビットコインで中本、と言えば、ビットコインに関する論文を最初に発表したのが、正体さえ分からないサトシ・ナカモトという人間だという、最低限の知識さえあれば(なくても作中で言及されるのだが)、この主人公がいかにビットコインに因縁づけられている人間かということがわかる。

この中本にメールを送ってくるのがニムロッド。元は同じ会社だったが鬱のために実家のある名古屋に移動した人物だ。そんな彼から「駄目な飛行機コレクション」というのが送られてくる。彼は文学賞に応募して三度最終選考で落とされた人間で、どうやらその小説にこの「駄目な飛行機コレクション」を使うらしい。

「資本主義」を「交換」と読み替え、それを破壊するのが「アンバランス」であるとすると、例えば行ったっきり帰って来ることを想定されない「桜花」のような飛行機は「アンバランス」だ。どの「駄目な飛行機」も、それぞれの「アンバランス」がその原因だと分かる。

ニムロッドという名前を名乗る同僚の小説の話にもどると、そこにはバベルの塔の逸話が引用され、バベルの塔のような高い塔に住むサトシ・ナカモトが「駄目な飛行機」をコレクションしている様が描かれる。

その塔を見下ろしたところには、一つに溶け合っているような人々の姿が見えるが、それが指し示すのは、バベルの塔の教訓、つまり「神に挑戦するな」というようなことを逆再生するような風景だ。

畢竟ビットコインとはそういうことなのだろう。

国家の存続を信任して発行される通貨に対して、ユーザーの相互監視を基にする仮想通貨の時代。これを主人公は食べログのようなサイトを想定しているが、それも「権威」のようなものを脱却していく大きなうねりの中にあるのだろう。

「アンバランス」の最たるものは、「出産」だろう。

主人公・中本の恋人である田久保には離婚歴があって、前に妊娠した際の出産前の調査で「染色体が一本多い」という異常を見つけ、堕胎した過去がある。

言ってみればこの田久保は「アンバランス」に失敗した人間だ。

ニムロッドに戻ると、この男はバベルの塔を造ろうとした人間と同じ名前らしい。彼にとってのバベルの塔とは小説だが、これが文学賞をとらないことが、彼自身の失敗である。

そんな二人の傍にいるのが中本である。この男は「左目からだけ涙を流す」という「アンバランス」な性質があって、ビットコインというバベルの塔を逆再生するような仕組みを開発した、とされる人間と同名なのだ。

失敗と構築

僕は最初、この小説が、てっきり無実化したコスモポリタニズムを批判するような作品だと読んでしまった。けれどそれは違ったらしい。

僕の、「結局自分の国さえよければいい」みたいなナショナリズムに対する違和感、コスモポリタニズムを欠片も思い出さないことに対する罪悪感の無さに対する危機感。そういうものに解答を導き出してくれるような思案がこの小説に書かれているんじゃないかと、ほのかに期待した。

けれどそうではなくて、むしろイズムとしてではなく、漠然とした現象として「コスモポリタン」になりつつある私たちを書いたのがこの作品であり、そこにある「アンバランス」、それはもしかすると「格差」のような言葉に置き換えた方がいいのかもしれない。そういう世界を、ごく身近な、ごく世俗的な部分を切り取って描いているのだろう。

この物語は、中本が新たな仮想通貨をつくろうとするところで終わる。新しい「バベルの塔」を造り始めようというわけだ。その塔から見下ろした人々は、溶け合ったように一体の「コスモポリタン」だろうか、それともやはり国家や宗教のボーダーに色分けられたnation(国民)なのだろうか。

 

written by 虎太郎