大学で日本文学を勉強するあなたに(3):文学研究史編

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「日本文学研究」の歴史

日本文学研究の歴史は長い、ということを何度か書いてきました。しかし、我々が想像する「研究」と呼べるものは、やはり明治時代以降に始まったということになります。

英文学を講義した小泉八雲ラフカディオ・ハーンや、その後を引き継いだ夏目漱石などと比較して、かつての文学研究者の名前は、それほど聞かないような気もします。

例えば芳賀矢一などは戦前の日本文学研究者として有名ですが、国威発揚の時期にあって、それに伍したこともあり、参照するのはためらわれるところです。

戦後の歴史

以後、できるだけ日本文学の研究史を書きたいと思いますが、僕の専門が近現代文学である都合上、そちらに偏ってしまうことをご容赦ください。その道の先学を知りたければ、文学全集の編集者に名前を連ねている人や、事典を書いているような研究者を当たることをおすすめします。

例えば池田亀鑑は、古典文学研究に、ドイツ文献学の手法を持ち込みました。このドイツ文献学というのは、耳学問で恐縮ですが、時代によって微妙に変化する聖書を比較研究して、原典をできるだけ再構成しようというような学問だったと思ってくださればいいと思います。

池田亀鑑は、その手法を使って、古典文学のオリジナルを復元しようと試みました。その際の手法や理論的支柱は『古典学入門』などにまとめられておりますので、一読していただきたいところです。

そのほかにも秋山虔は古典文学についての基礎的な情報を整理したと言えるでしょう。現在我々が「文学史」として享受しているものは、この両名の努力の上に成り立っているところが多分にあります。

他にも石母田正の著作で、岩波新書から刊行されている平家物語などは、必読の一冊と言えるでしょう。他にも、角川書店に連なる系譜の角川源義や、アクロバティックな読解で文学研究に新たな領野を拓いた西郷信綱なども忘れてはいけないでしょう。

例えばドナルド・キーンは、戦時中敵国言語であった日本語を習得していたこともあり、戦後は日本文学研究者として活躍しました。現在文庫でも刊行されている『日本文学史は、その成果とも言えるもので、現在の私たちにとって網羅性と読みやすさを兼ね備えた得難い「教科書」となっています。また彼は同時代の文壇の人々とも親交を結んだことが知られています。

同じ時期の三好行雄は、1962年に東京大学の教員となりましたが、これが東京大学では最初の近代文学専攻の教員でした。彼は文学研究に作品論を導入しました。というのも、それまでは作家論と呼ばれる、作家を研究する手法が中心だったのに対し、彼は作品そのものを論じようとしたのです。

これが受けた背景には、高度経済成長、大学進学率の上昇で、「全集を通読しなければ研究ができない」という心理的ハードル、財政的ハードルについていけない学生が出てきたためという説もあります。手元に文庫本一冊があれば研究できるようなスタイルが広まり始めたのです。

つまり、日本文学研究の流れは、作家論→作品論というように展開してきました。これがさらに展開したのはテクスト論です。これは読者論と呼ばれることもあるようですが、ロラン・バルトの提起した「作者の死」という概念のもとに、作者の存在を一度かっこの中に入れるという手法です。

積極的に導入したのは『文学テクスト入門』などで知られる前田愛ですが、それがより人口に膾炙したのは、1985年の同じ雑誌の同じ号に、同じ夏目漱石『こころ』論を掲載した小森陽一石原千秋がきっかけだと言えるでしょう。

これが平岡敏夫などを巻き込んだ、いわゆる『こころ』論争に発展しますが、強固なテキスト論というイデオロギーを背負った小森・石原に軍配が上がったと言うべきでしょう。2人は後、漱石研究』という雑誌の中で、こうした立場を広めていきます。前にご紹介した『批評空間』との平行性が興味深いところです。

そこには、日本のなかでもかなり初期にフェミニズムの観点を導入した飯田祐子などの名前が見えます。

こうした理論的推移、すなわち作家論から作品論へ、そしてテクスト論へという推移は、近現代文学で導入が進んでいる印象があります。一方、古典文学についてはそうした観点が希薄で、昔ながらの作家論が中心の印象です。作者はこの表現をどこから借りてきたのかという原典探しや、ストーリーを歴史上の出来事と重ね合わせる実証研究、登場人物のモデルを探したり、作者が分かっていない作品については、その生成圏を探る試みが盛んです。

一方、兵藤裕己大津雄一高木信などといった人々が、そうした従来の古典文学研究──特に中世文学研究を揺らがしているようですが、特に中古文学についてそうした試みは寡聞にして存じ上げません。

同時代史へ

テクスト論の導入は、ある意味で文学研究に余命宣告を突きつけたようにも思われます。

例えば、作品論であれば、まだ作者の存在は自明視されている。つまり、作者は既に死んでいるが、当然「作者の意図」という正解があり、それを探っていたわけです。しかし、テクスト論になると、「作者の意図」を研究することは別に偉くないということになる。

すると、テクスト論は「なんでもあり」の様相を呈し始めます。これに違和感を抱いたのが、田中実です。ただし、この「田中実」という名前は日本で一番多い同姓同名らしく、論文を検索しても別の人の論文が出てきてしまうので、探りにくいところです。

彼が提起したのは、第三項理論という考え方でした。彼は、テクスト論がもたらす、なんでもありの「読みのアナーキー」を避けるために、この理論を編み出したのです。

その理論の本題に入る前に言っておくと、これは文学研究だけでなく、特に人文系の学問で起こっていた問題と言えます。

近代(モダン)が終わったあと、ポスト近代(ポストモダン)が現れたとされています。そこでは、近代までは成立した「大きな物語」が成立せず、「小さな物語」に分裂してしまったとされています。

例えば、昔は「夏目漱石なんかより西尾維新の方が偉い」なんて言い始めたら、説教を何時間もされて、「夏目漱石が偉いに決まってるだろ」と改宗させられたわけですが、ポストモダンの現代は「まあそういう人もいるよね」という具合に落ち着くでしょう。他にも具体的な人生設計の話がそれに当たります。順調に進学し、20そこそこで見合いで結婚、子供を3人ばかり作って、夫は仕事を、妻は家庭を守り……といったライフコースは、もはや自明のものではなくなりました。

こうした現象は、ひとえに「超越的存在が認められなくなった」と言えます。つまり、「それに従っておかなくてはならない」と思わせられるように超越性が見いだせなくなったのです。例えばある2人の社会学者のその問題に対する対応は──2人が同じ大学に1年違いで入学したにも関わらず──好対照を描いています。

大澤真幸はそうした現代における超越的存在──第三者の審級が不在であることを嘆き、本当の〈自由〉のためには、第三者の審級を再び存在せしめることが必要だと説きます。

一方宮台真司オウム事件を受けた『終わりなき日常を生きろ』で、超越的存在にすがる終末論的思考(オウム真理教のような)と、当時の女子高生たちの「終わりのない日常をまったりと生きる」スタンスを比較し、後者を肯定します。つまり、超越性を棄却し、それでも漠然と生きることこそが良いのだと考えるわけです。

こうした時代的な状況と、田中実が第三項理論を生み出した環境は似ています。

田中は、「本文(ほんもん)」は人によって違うと考えます。文章を読むにせよ、どこに力点を置くか、どのように読むかは人によって違うでしょう。しかしそれ以前の「プレ本文」なるものが(概念的には)存在するはずだと考えます。

これこそが、本当の意味での他者だと言うのです。というのも、他者の中にも「共感できる他者」と「到達不可能な他者」がいます。この「プレ本文」は後者だということです。

私たちは文学作品を読んだとき、「プレ本文」という「到達不可能な他者」に触れる。そのとき、私たちはそれまで築き上げてきた〈私〉が崩れ去るような経験をする。これを自己倒壊と呼んでいます。

この田中の議論は、一見すると、宗教じみて聞こえるでしょう。

事実、彼が活動の根拠地にしていた日本文学協会では当初は正面切って受け入れられることはなかったようです。ただ彼が国語教育部会で、国語教育に第三項理論を移植しようという試みを始めると、協会に寄せられる論文も、ほとんどが第三項理論を踏襲したものになりました。

ただ、それはいくらなんでもまずい。ということで、昨年、文学研究者から多くの批判が寄せられ、日本文学協会も自己批判を余儀なくされました。

こうした経緯を踏まえれば、テクスト論以後、日本の文学研究に理論的な更新は無いと言えるかもしれません。ただし、田中が問題視した文学における超越性の消去、読みのアナーキー、「なんでもあり」という問題点は、どこかで文学研究者が向き合わなくてはならない課題です。

また、主流を形成するには至っていませんが、中村三春を嚆矢とし、西田谷洋が発展させた認知物語論は、認知言語学の成果を文学の構造を分析することに活かしたもので、今後さらなる進展が期待される分野です。