【感想】『やがて君になる』~君しか知らない、でも君はいない~

*この記事はネタバレを全く気にせずに書いたことを初めに断っておきます。苦手な方はご注意ください。

 

 2018年秋クールのアニメの一つ、『やがて君になる』。この作品は秋クールの中のいわゆる百合枠として放映された。しかし、このアニメは単なる百合を越えたものとなっていると考える。その感想を書きつつ今更感はあるが『やがて君になる』について考えてみたいと思う。ちなみに原作は読んでいないので原作ファンの方からのお叱りがあれば真摯に受け入れる覚悟はある(笑)

 

 まずこの作品のあらすじは本当にざっくり言うと、高校一年の小糸侑と同じ高校の二年の七海燈子が高校の生徒会で知り合い、仲良くなっていくというまあ百合ものになっている。詳しくは以下のサイトを参照されたい。

TVアニメ「やがて君になる」公式サイト

やがて君になる - Wikipedia

 

 ではこの作品の何が他の百合アニメと異なるかというと、この主人公二人は相思相愛の関係にはならない、いやなれない。小糸侑は誰のことも好きになったことがなく他人を特別に感じることがない女の子だし、七海燈子は自分のことを好きな人を好きになることができない。

 侑、侑は私のこと好きにならないでね。(略)私は自分のこと嫌いだから。 私の嫌いなものを好きって言う人のこと好きになれないでしょ。侑のこと、好きでいたいの。

 これは『やがて君になる』第12話「気が付けば息も出来ない」での燈子の台詞である。この台詞に代表されるように、燈子は自身のことをかなり嫌っており、そんな自分に好意を寄せる人を好きになることができない。そのために自分の存在を肯定する人を遠ざける。第6話「言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて」で侑が燈子に対してありのままでいいと訴えかけ、七年前に亡くなった姉のようになろうとしなくてもいいと言葉を投げかける。しかし、そんな侑に対して燈子は

そんなこと死んでも言われたくない。

と一蹴している。この台詞の後に燈子は姉が亡くなった当時のことを思い出し、姉の葬式で周囲の人が皆姉のことを好いていることを突き付けられ、姉の代りとして生きていくことを決意する。

 

私がお姉ちゃんの代りになろうと思ったのは、私がお姉ちゃんみたいに振舞うと皆喜んでくれる。特別だって言ってくれる。きみの前でただの私に戻るのは居心地がいいけど、皆の前で特別でいることは止められない。

 とこのように話す。燈子が姉の代りを務めようと決意したのも自身のことが嫌いで、人気者だった姉のように振舞うことで、自分を特別だと言ってほしいからなのである。

 

 この燈子の言動からは二つの要素を読み取ることができる。

  1.  承認欲求が行動原理になっている。
  2.  他者の欲求に応えようとしている

 

 まず一つ目の承認欲求であるが、燈子は自身の存在を自身で否定することしかできない。それ故に誰かに自分を認めてもらうことを望んでいる。誰かの承認欲求を満たそうとして自身の存在を消してしまっている。これはアドラー心理学に則れば「他者の人生を生き」ている状態となってしまっている。*1

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 次に二つ目の他者の欲求に関しては、燈子は他人の行動に気を配り、他人が望むような、喜ぶような言動をしようとしている。七海燈子という人間の中に七海燈子という存在はいない。七海燈子は他者の容れ物に生きてしまっている。確かな自分が存在しないために常に他人の喜ぶように周囲から嫌がられないように生きている。*2

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 この七海燈子だから小糸侑と相思相愛になることはできないのだろう。燈子は自身を自身の手で奥底に押し込めて、常に他者の容れ物に生きる。そんな燈子だからこそ自分のことを好きにならない、自分のことを見ないでくれる侑のことを好きにはなったのではないだろうか。しかし、そんな燈子の思いとは裏腹に侑は燈子のことが気になり始める。侑は燈子のことが気になるのだが、その思いは表に出すことを許されない。侑だけは燈子の容れ物になることができない。

 

 この二人の関係性を正に表しているのが二人が所属する生徒会で七年ぶりに復活させた劇である。(これも姉がやっていたからではあるが)この劇で燈子は記憶を失い、他人から見た自分像を聞きそのどれを選び生きるかという決断を迫られる少女の役を演じる。これは燈子の姿を象徴的に表している。自分を持たず、他者の容れ物に生きる燈子を正に舞台という他者から見られる場所で演じる。一方侑はというと少女に対して干渉することのない看護師を演じる。これも侑の燈子に対して自分の理想を押し付けない姿を象徴的に表している。

 

 この劇の結末を侑が少女が自主的に生き方を決断せずに他者からのイメージに沿って生きるのはおかしい、と脚本を担当した同じクラスの叶こよみに語る。この場面は明らかに侑の燈子に対する思いが込められていると考えてよいだろう。そしてその劇のタイトルはアニメの最終盤に「君しか知らない」というものが侑によって提案される。君=燈子しか燈子のことを知らない、でもまだ燈子は自分のことを押し込めている。それでもこれから、燈子が侑との交流によって少しずつ燈子になっていくのではないだろうか。

 

written by 立月

 

  

*1:アドラー心理学の入門としては岸見一郎氏の『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』をおすすめします。

*2:村田沙耶香コンビニ人間』ではさらにこの感覚を浮き彫りに描いています。