【芸術評】クリスチャン・ボルタンスキー -Lifetime (大阪・国立国際美術館)

はじめに

2019年2月から5月にかけて国立国際美術館でクリスチャン・ボルタンスキーの回顧展(以下、ボルタンスキー展)が開催されている。これから本展覧会は東京と長崎にも巡回する予定だが、本記事で扱うのは大阪会場のみである。

www.nmao.go.jp


本展覧会は副題に"Lifetime"とある通り、これまでのボルタンスキーの軌跡をたどるというのが本展覧会の目的だ。たどる、といっても、必ずしも制作年代順に作品が展示されているわけではなく、バラバラに配置されている。ボルタンスキー本人が実際に現地を訪れて展示の構成を調整したという。

さて、ボルタンスキー展の内容に入る前に、まずクリスチャン・ボルタンスキーというアーティストがどのような人物であるかを明らかにしておこう。

クリスチャン・ボルタンスキーというアーティスト

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CHRISTIAN BOLTANSKI, Portrait at Espace Louis Vuitton Munchen, 2017

彼は世界大戦終結直前の1944年パリの生まれで、一般にフランスを代表する現代アーティストとして知られている。しかし、ボルタンスキーという姓からも察せる通り、ルーツはフランス系ではなくユダヤ系である。それゆえに、ユダヤ系の人々に関わる機会も多い幼少期を過ごしたという。むやみに作家の個人史を参照して作品を鑑賞する態度は避けられるべきかもしれないが、彼の作品には特定の民族に焦点を当てたものも多いため、この点には注意しておいても良いだろう。
また、彼は、特に美術学校に通ったという経歴がないどころか、普通学校にも通ったことがほとんどないと語っている。それにもかかわらず、母親が画廊を経営するなどしていたこともあり、20代の頃にはアーティストとして生きていく事を決めていたという。そうして1968年には絵画をやめ、1960年代後半から短編フィルムを発表し始めたボルタンスキーは、その後も写真やビデオ、ビスケットの缶や電球などの身近な生活用品を用いた作品を意欲的に発表し続け、現在に至る。

以上が彼の主な経歴である。(参考:『現代アート事典』)

彼の作品に欠かせないキーワードは、歴史や記憶、人間の生と死だ。本展覧会でも、こうした彼のテーマが実に巧みな仕方で浮かび上がっていたといえる。
 

それでは、ボルタンスキーの旅に「出発」しよう。

始まり、光

展覧会のオープニングを飾るのは、《出発》と題された作品である。青色のLED 電球で"DEPART"の文字が浮かび上がる。
本展エンディングの《到着》(2015年、こちらは赤色のLEDで"ARRIVEE"の文字を形作ったもの。)と対になっており、展覧会全体でボルタンスキーの生涯(まだご存命ではあるのだが)を振り返るにはふさわしいと言える。
まるで街中の広告のように色鮮やかできらびやかで、美しい。しかし、同時に粗雑な印象も受ける。それは、電気コードがむき出しのままであることに起因しているだろう。

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《DEPART》/《ARRIVEE》(写真は2016年に海外で展示されたもの。青と赤の配色は国立国際美術館のものと逆である。)

この二作品は、人生には始まりと終わりがあるというボルタンスキーの哲学を物語っている。
赤と青の電球が頻繁に用いられるのは、動脈と静脈を表しているようにも見える。ボルタンスキーの作品は一見するとクリーンなのによく見てみると生々しさが表れているといった場合が多いが、これもその一つだろう。

《出発》の文字に出会うとき、同時に私たちの耳に届くのは大きな《心臓音》(2005)だ。
電球の明滅が心臓の鼓動に合わせて繰り広げられる。
この心臓音は、豊島の《心臓音のアーカイブ》(2010)*1から提供された「誰か」の心臓音である。電球の光だけが灯る暗闇の空間で大きな音が鳴り響くことで、鑑賞者は「誰か」がそこにいるかのような不気味さと、「誰か」の生に立ち会っているような微妙な温もりを感じる。

「かつてそこにあった」—礼拝的価値

「誰か」の生と死がそこに「ある」こと、またそこに「あった」こと、というのはボルタンスキーの作品に一貫したメッセージであろう。
それが顕著なのが、「顔」を素材にした作品群だ。

ボルタンスキーの名を轟かせた最も有名な作品といえば、80年代の《モニュメント》と名付けられた連作であるが、そこに用いられるのは人間の顔写真である。

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《モニュメント》(1986)

《モニュメント》では、無名の子供達の顔写真がまるで遺影のように飾られ、ロウソクのように仄かな電球がそれを照らす。
身近なもので作られているのにも関わらず、それはどこか厳かであり、宗教的な雰囲気すら感じさせる。
このような作品では、写真が「誰か」であることが重要だろう。特定の役職を持った権威者や有名人だけを取り上げる(アンディ・ウォーホルの有名な《マリリン》等はその顕著な例だろう)のでは、彼の意図は叶えられない。ボルタンスキーは「誰か」の一生が、無くなってしまった瞬間、世界からその存在が忘れられてしまうことへの抵抗だとして、記録をし続けることの重要性を語っている。もちろん、そんな膨大な情報すべてを自分一人の力で書き留めておくことはできないし、忘却に負けてしまうことも十分に理解した上で、こうした作品を作り続けているのだ、と彼は語る。
そんな彼の試みは、アウシュビッツの記憶、また日本であれば原爆の犠牲者や大震災の犠牲者の記憶を留めておくという記念館の姿勢にも似ている。ただ、そうした記念館と彼の相違点は、何か負の歴史の犠牲者になっていようともいなくとも、犯罪者さえも、すべての人間を同等に扱うところだといえる。

ここで、《死んだスイス人の資料》を見てみよう。

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《Archives des Suisses morts (死んだスイス人の資料)》(1990)

この作品は、金属製の箱で壁を作ったものである。
箱の前面にはボルタンスキーが『ヴァレ通信』の死亡告知欄から切り取ったスイス人の写真が貼られている。
この金属製の箱はもともとはビスケット缶で、ボルタンスキーにとってはミニマリズム的オブジェであると同時に骨壷を連想させるものである。(本展配布冊子より抜粋)

この作品の題材には、「スイス人」、すなわち永世中立国の住民が選ばれた。この理由は彼らが、ユダヤ人のように「死ななければならない歴史的な理由」を持たない国民だからであるという。彼は全ての死者を等価に扱う。

長谷川祐子は、著作『女の子のための現代アート入門』において、ウォーホルの反復するイメージと対照的に「顔」を描き出した作品としてボルタンスキーを挙げている。

彼は、生のなかに積み重ねられる日々の死を記憶のメタファとみた。写真はそこに写されているものの「不在」を強く感じさせる。彼は記憶の保存箱、また記念碑(モニュメント)をつくろうとした。(中略) 写真の発明によって、死はそのアウラを失い卑俗なものになってしまったとベンヤミンは語ったが、ボルタンスキーはこれに抵抗する。すべてひとりひとり異なる生と死があり、それは礼拝される価値をもった記念碑になりうると。

写真が「かつてあった」(It had been / It was)ということを示すというこの指摘は明らかに、バルトの『明るい部屋』での記述に依拠したものだろう。

絵画や言説における模倣とは違って、「写真」の場合は事物がかつてそこにあったということを決して否定できない。
ロラン・バルト『明るい部屋』、94頁


さらにバルトは、写真映像一般について、「触れる」ものとしての特性も指摘する。

写真とは文字通り指向対象(=すなわち被写体のこと)から発出したものである。
そこに実在した現実の物体から、放射物が発せられ、それがいまここにいる私に触れにやって来るのだ。
同上、100頁

ボルタンスキーの主題、「誰でもない誰か」は確実に「かつてそこにあった」。
その「誰か」は鑑賞者である「私」に時を超えて触れにやって来る。
このことが、先に述べた心臓音や用いられる色といった物質的な問題以上に、ボルタンスキーの作品が生々しさを伴う要因とも言えるだろう。

「かつてそこにあった」ことを表現している作品としては、顔写真の連作のほか、衣服を並べた作品群もこれに当たる。

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《Le Manteau (コート)》(2000)

大量の衣服を集積させた作品、壁に大量の衣服を縫い付けた作品、一つのジャケットを吊り下げ、周りにライトをつけた作品(上写真《コート》参照。)などである。
これもまた、いま現在は誰にも着られていないけれど、それを着ていた誰かを想起させるまでに古ぼけた服の集まっているのを見ると、何か霊的なものを感じさせる。

この意味で、ボルタンスキーの作品の多くは、遺影や遺品とも呼べるだろう。

以上のように、彼の作品の原点は、忘れられる儚い存在といったものへの異常なまでの執着心なのである。


ボルタンスキーは、芸術の目的とは「トラウマを表現する事」であると語っている。この主張は、他のアーティストを例にとってみても当てはまるかもしれない。例えば、マイク・ケリーにとっては、それは「スクール」だった。(下記事を参照)
theyakutatas.hatenablog.com
またポップ・アーティストのアンディ・ウォーホルにとっては、それは大衆文化や消費文化であったかもしれない。(もっとも、彼自身は自らのアトリエを「ファクトリー」と名付けた上に「僕は機械になりたい」などと発言しているのであるが。)

彼のトラウマは、言うまでもなく大量の死者の存在、より具体的にはナチス・ドイツによるユダヤ人の大虐殺とその犠牲者のイメージであろう。
写真映像というメディウムが持つ、「死のイメージ」によって彼は自らのアイデンティティであるユダヤ人としての歴史的位置に自らの作品を帰着させるのだ。

ベンヤミンは、『複製技術時代の芸術』において芸術作品には礼拝的価値と展示価値とがあると述べた*2が、ボルタンスキーの祭壇のような作品はまさに「礼拝」の対象となる。
しかしその礼拝は、「美の礼拝」ではなく、依然として本来的な意味での礼拝なのである。

次世代へ—「神話的価値」の創造

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《Animates-Chili (アニミタス チリ)》(2014)

忘れられてしまうものへの固執をまるで祭壇のような設えで表現し続けてきたボルタンスキーだが、高齢になった近年には、自らの作品を神話化することに関心を高めているようである。本展覧会でも、大きく空間を使って2017年以降のビデオ作品が展示されていたことから、神話的作品を強調したいというアーティスト本人の意志がうかがえる。

例えば上の《アニミタス》はチリのアタカマ砂漠にて撮影されたビデオ作品だ。細長い棒に取り付けられた数百の風鈴を使って、ボルタンスキーが生まれた日の夜の星座を再現している。さらに、《ミステリオス》では、南米のパタゴニアにおけるクジラ信仰をテーマにラッパ状のオブジェを作り、クジラとコミュニケーションをとることを目指す試みが行われた。

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《Misterios (ミステリオス)》(2017)

こんな奇妙な作品を制作していた作家がいたことをどこかに刻みたい、そうした欲求をボルタンスキーはゆかりのない土地に赴き、叶えようとする。
《アニミタス》はおそらくもう跡形もなく消え去っているだろうし、《ミステリオス》に関しても、オブジェは残ったとしても風化していく一方だろう。けれども、ビデオ作品にすることで、その記録は半永久的に残るのだ。

以上のように、ボルタンスキーの作品はおおよそ、光、「そこにあった」こと、神話の三要素に集約することができるだろう。

本展覧会の最後を飾るのも、(先に述べたように)電球で書かれたARRIVEEの文字(《到着》)である。そして、それにたどり着くまでの狭い通路には、何人かの大きな子供の顔写真が傷をつけられた状態で展示してある。彼によれば、これらの作品は近年報道されることが増えたように思う児童虐待のニュースへの目配せだという。
「美術館は何かについて考えるための場所であってほしい」というのが彼のかねてからの願いであった。このとき美術館は、ボルタンスキー個人どころか欧米のトラウマと言ってもいい悲劇、ホロコーストについて考える場であり、またボルタンスキーの神話的な姿について考える場であり、さらには社会問題について考える場としても機能するのだ。

おわりに—「アーカイヴ」の視点から考える

ウォーホルが、何度も印刷され反復されるイメージに対して空虚さを感じていたのに対し、ボルタンスキーは違った切り口から情報化社会を見ている。
写真映像の発明・普及以前は、肖像画に描かれた人間の存在しか、または歴史書に書かれた人間の存在しか残らなかった。
それが、今では私たちは、何もかもを残すことができるようになった。誰でもない民衆の姿も、いちアーティストの一回限りの作品も。だから、アウラが損なわれてしまったことを嘆くのではなく、無名の生も、存在も忘れないような行いをすべきなのだ—これがボルタンスキーの徹底した姿勢であろう。
ボルタンスキーは作品を通じて、アーカイヴ作成を行っているとも見れるのではないだろうかと筆者は思う。
近年話題になっているワード、「アーカイヴ」。各国は競うように資料(史料)のデジタルアーカイヴを作成し、何もかもをデータとして収蔵、いつでも誰でもがアクセスできるようにする。
芸術作品についても、あらゆる社会問題に関するニュースについても、自然災害について考える時にも、記録の問題は常に重要なトピックの一つであるが、その是非は、こうした「複製技術時代の芸術作品」を通して問われるべきなのかもしれない。

written by 葵の下

*1:瀬戸内海に浮かぶ香川県の島、豊島では、2008年より心臓音を収集するプロジェクトをボルタンスキーの作品の一部として展開している。《心臓音のアーカイブ》では、これまで彼が集めた世界中の人々の心臓音を恒久的に保存し、それらの心臓音を聴くことができる。来場者は自分の心臓音をここで採録することもできるという。(出典:心臓音のアーカイブ | アート | ベネッセアートサイト直島)

*2:礼拝的価値を伴って作品を見るとは、作品に距離を置いて瞑想的に作品に没入するという態度のことである。ここでいう「礼拝」とは従来の宗教的儀式に似た「美の礼拝」である。対して、展示的価値を伴って作品を見るとは、距離を置かずに、店先で商品を見るときのように作品を鑑賞する態度のこと。ここで注意すべきは、ベンヤミンは「複製技術時代の芸術」がアウラを失ったために礼拝的価値がないと主張しているのではなく、礼拝的価値、展示的価値は流動的で、一方を持つはずだった作品が他方に変容する可能性も残しているという点だろう。