【アニメ評】「ケムリクサ」~何故EDを初音ミクが歌うのか~
2019年冬アニメ「ケムリクサ」のEDについて考察していきます。
スタッフクレジットの意味
3~11話のEDのスタッフクレジットでは、
エンディングテーマ
「INDETERMINATE UNIVERSE」
作詞・作曲・編曲:ゆうゆ
ゆうゆfeat.ケムリクサ
上記のように「ケムリクサ」が歌っていることになっているのですが、実際に歌っているのは明らかに「初音ミク」です。ケムリクサがどういうものかを考える上では、かなり意味深なスタッフクレジットです。
(「ゆうゆ」は『桜の季節』や『深海少女』などで根強い人気を誇っているボカロPです。沢山良い曲をニコニコ動画等にあげているので、是非チェックしてみてください)
最終話(12話)では、EDのスタッフクレジットが変わります。
エンディングテーマ
「INDETERMINATE UNIVERSE」
作詞・作曲・編曲:ゆうゆ
ゆうゆfeat.ケムリクサ
名前が追加され、前半は「初音ミク」が歌っているのですが、サビから「りん、りつ、りな」の声優が歌っているものに変わります。
ケムリクサ製作陣が、ED曲の「歌い手」を誰にするかで、何らかのメッセージを込めていると考えられます。
アイデンティティ問題/初音ミクの匿名性
歌詞からストーリーを拾い上げながら考察していきたいと思います。
(以下ネタバレ注意です)
赤い赤いその血潮に浮かび上がる
人とヒトならざる者達の不協和音 いま夜明け前
「人」と「ヒトならざる者」というのが印象的な言葉です。
わたしは、たつき監督の前作「けものフレンズ」のイメージが強く残っていたのもあって、記憶喪失の主人公「わかば」が「人間」で、姉妹たち(りん、りつ、りなetc)が「ヒトならざる者」だというように安易に思い込んでいました。
「フレンズ」と呼ばれる動物たちと「人間」の旅を描いた『けものフレンズ』と同様に、「ヒトならざる者(姉妹)」と「人間(わかば)」の旅から、人間の本質を語ろうとしているのだと勘違いしてしまいました。
しかし、11話で明らかになった衝撃の事実は「わかば」の前世(?)は「ワカバ」であって、彼は「地球人」ではないということ。彼は、地球の文化財を保全しようとしている、どうやら「宇宙人」であり、一方で姉妹たちは、地球人の一人の少女が「ワカバ」を助けるために「ケムリクサ」――ヒトならざる者に自らなった存在だということです。
(「わかば」がどのような存在なのかは物語上では明示されていませんが、「ワカバ」がミドリによって転写された存在という説が正しいとすると「わかば」もケムリクサ的存在なのかもしれません)
それを踏まえると「ケムリクサ」という存在の声を、「初音ミク」に託した理由が分かってきます。
「初音ミク」が歌うことでもたらされる効果として「匿名性」があります。代替不可能な人間歌手に依存しないことで、「誰の、誰に対する歌」なのかが覆い隠されます。そして同時に匿名性をもっているからこそ、視聴者に「誰の歌なのか?」という疑問を必然的に抱かせることになります。(詳しくは「ボカロ考察会」の記事を見て下さい)
実際、その「匿名性」があったからこそ、ED曲「INDETERMINATE UNIVERSE」の歌詞に込められた意味は、物語終盤まで確定できず、物語の「謎めいた雰囲気」を維持することに貢献しました。
もう一度あの日の景色 横顔
届かない隣でキミがいつも通り笑う
「キミ」が誰なのかはずっと謎でしたが、11話でようやく判明しました。ケムリクサは実質「ワカバ」と「りり」の二人の物語であるので、「ワカバ」にとっては「りり」、「りり」にとっては「ワカバ」が「キミ」なのでしょう。
ただし、最終話のEDで「ケムリクサ」として「りん、りつ、りな」が歌っていることを重視すると、どうやら「りり(姉妹)」から「ワカバ(わかば)」への言葉と考えるほうが近いように思えます。
ここであっさりと「りり」と「姉妹」を繋いでしまいましたが、「りり」と「姉妹たち」を同一視して良いのか、という問題がこの物語には存在します。(同様の問題は「ワカバ」と「わかば」の間にも立ち上がりますが、先述のように「わかば」の立ち位置は厳密なところでは明らかにされていないのでここではスルーしたいと思います。)
まず、主ヒロインの「りん」と「りり」のアイデンティティ問題を考える上で、重要なシーンがあるので、引用します。
りん「この葉のせいで顔が熱くなるのだと。前は外に出すと少しマシになっていたのだが」 (11話)
以前は「記憶の葉」の「りりの記憶」が「ワカバ」のコピー的存在(?)である「わかば」に反応して顔が熱くなっていたのだが、11話段階では「記憶の葉」に関係なく、顔が熱くなる。
つまり「りりの記憶」とは関係なく、「りん」自身が「わかば」のことを好きになったと示す場面だと解釈することが出来ます。
また、りんと「他の姉妹」も同じ存在だと見るわけにはいきません。
姉妹は、それぞれの個性がしっかりと確立されています。姉妹たちには五感(=能力)が振り分けられているということもありますが、最初からアイデンティティは確立されていたというよりは、長い旅の中を経て、それぞれが代替不可能な存在になっていったという風に考えるのが自然なような気がします。
「わかば」への気持ちに関しては、
りく 「これがりんの大事ねぇ。どっこがいいんだかなぁ」
りょく「全くじゃん」
12話での、裏姉妹二人の発言からも、りん以外の姉妹は「わかば」に特に恋愛感情を抱いていないことが分かります。
物語の焦点である「わかば」への想いに限定しても「りり」と「りん」そして「他の姉妹」を同一視するわけにはいかないことが分析できます。
しかし、「さいしょの人(りり)」が、ケムリクサで分裂したのが「6姉妹」で、「りり」の性質が各姉妹に振り分けられていることを考えると、「6姉妹」と「りり」を連続した存在だと大きな視点からみることはできるでしょう。
上記のように、「りり/りん/姉妹」の絶妙なアイデンティティ問題を振り返ると「feat.ケムリクサ」という表現は「これしかない」というものだと感じます。
初音ミクの声質
人間の声に比べると、初音ミクの声は「感情のない無機質な声」だとしばしば表現されます。「感情のない無機質な声」だからこそ、強いメッセージ性を込めることに成功している楽曲もあるのですが(詳しくは別記事「ボカロ座談会」へ)、このED演出においては「ヒトならざる者」の想いを「ヒトならざる」機械の声に託しているのではないかと考えられます。
改めて、最終話(12話)の初音ミクと声優(りん、りな、りつ)の歌声の切り替わりのタイミングを確認すると、歌詞の内容と結びついていることが分かります。
(初音ミク)
赤い赤いその血潮に浮かび上がる
人とヒトとならざる者達の不協和音 いま夜明け前
もう一度あの日の景色 横顔
届かない隣 でキミがいつも通り笑う
(以下、声優)
ボクらは願い、夢を繋いだ
見えない霧の中で
なのに世界は嘘だらけ 決意揺らいで
キミが残した優しい歌を
見失わないように どうか明日も
初音ミクが歌っている前半部分は「りり」が「ワカバ」のことを助けるために「ケムリクサ」となる場面のことが、声優が歌う後半部分は「りり」が「姉妹」となって「わかば」と旅する部分が、重点的に描かれています。
ボクらは願い、夢を繋いだ
「ボクら」は「ワカバ」と「りり」の二人を示しており、「再会すること」を願ったということだと思います。
見えない霧の中で
「見えない霧」というのは、アカギリを暗示しています。ただし、この歌詞では「未来が見えない」という拡張した意味も込められているのでしょう。
なのに世界は嘘だらけ 決意揺らいで
厳しい世界の中で「再会する」という決意は揺らぎます。実際、りりは、ワカバと再会することを一度諦めて、橙のケムリクサの記述(「ワカバを助ける」という目的を書いたところ)を自分で塗りつぶしています。
キミが残した優しい歌を
見失わないように どうか明日も
「キミ」というのは「ワカバ」と「りり」のお互いを示していると先述しましたが、歌い手を考慮にいれると、「ワカバ」の「優しさ」と読みとるのが歌声のイメージに合うと思います。
以上のように、歌詞の構成をみると、物語終盤で明らかになるケムリクサの世界観と合致します。
「ヒトならざる者」(機械)の「匿名化」された「無機質で」「代替可能な」歌声から、「人である」「特定の声優」の「感情の込められた」「代替不可能な」歌声への変化は、物語の進展とともに、互いが「かけがえのない存在」となっていく登場人物たちの感情の共鳴、高まり合いと重なります。
ストーリーと連動するEDの「視覚上の変化」も話題になりましたが、「歌声の変化」も物語終盤の盛り上がりを演出する上では必須だったのだと思います。
「ボカロ」はオワコンといった言説もありますが、今回のように「初音ミク」の声で、物語とあった「謎めいた雰囲気」をEDまで視聴者にしっかりと抱かせ、最終話での歌声の変化によって視聴者の感情までも揺さぶるという演出は「初音ミク」を使うことによって初めて生まれるものです。
『ケムリクサ』は、物語のプロットそのものも当然素晴らしいですが、こういった演出面での挑戦、こだわりが視聴者を惹きつけてやまなかったのだと思います。
Written by (緑のケムリクサで身体の不調を治したい)踊るサバ
歌詞引用元:「UtaTen」