【肯定するオタクたち②】ふがいない主人公も異世界に行けば無双する
異世界に行けばなんとかなる
前の記事では、映画ではのび太は異世界で強者になるということだった。
そう、オタクたちは「強くなれる場所」を求めている。もっと言えば、「支配できる場所」を求めている。
異世界モノを見てみればそんなのばかり。
僕はアニメを見ただけだけれど、アニメ「この素晴らしい世界に祝福を!」の主人公・佐藤和真は引きこもり。しかし異世界に転生して、持ち前のそこそこの知能でピンチを切り抜けていく。
もっと露骨なのは、アニメ「転生したらスライムだった件」。こちらも主人公はふがいない普通のサラリーマン・三上悟が、あらゆる状況に対応したスライムに転生する。
こちらは知らず知らずのうちにあたりの支配者になってしまう。
より醜悪なのを取り上げると、アニメ「デスマーチからはじまる異世界協奏曲」。主人公・鈴木一郎はゲーム開発のプログラマーだが、色々あるうちにたくさんの女性を周囲にはべさせることに。
いわゆる「転スラ」と「デスマ」だが、これらは異世界で支配者になる系統と言っていいだろうと思う。
そう、オタクたちは自分が支配者になる場所を求めている。
支配者になりたいオタクたち
オタクはどうやって支配者になるのか。支配者になったと見なせる条件はただ一つ。不均衡な情報だ。
例えば「デスマ」を挙げよう。
主人公の視野にはゲームの画面のような表示がある。それを他の人々は気が付かない。自分だけが知っている、自分だけが出来る、という不均衡さが彼を支配者たらしめている。
他にも、「転スラ」では、主人公が死亡時に童貞だったがゆえに「大賢者」という機能を得た。彼が自問すると、内なる「大賢者」がそれに答える。そして彼はあらゆるものをスライムの内部にとりこむことで解析できる。
この不均衡さ、自分だけが分かる、ということが彼を支配者たらしめているのである。
考えてみれば、「オタク」というのはこの不均衡さに生きる生き物だ。
「○○オタク」と称されるとき、オタクたちはその○○と相互のコミュニケーションはとれない。
アニメオタクは当然、「アニメを見る」という一方方向の行為によってアニメオタクで居続ける。鉄道オタクは「鉄道に関心を持つ」が、鉄道がそれに返事をすることは当然ない。アイドルオタクはアイドルと交流を持てているようで、自分は多数のファンの一人なので、本当の意味でコミュニケーションが成立しているとはいえない。
典型が特撮オタク。特撮は子供向けで、特撮オタクと特撮作品の間のコミュニケーションは成立しようがない。それでもいい。むしろ特撮オタクは、特撮作品が自分達=大きなお友達を見ていないからこそ、特撮を好きでい続けるのだ。
オタクたちは知っている
言ってみれば、「相手に自分を知られることなく、自分は相手をよく知っている」というのがオタクの真髄である。
だから、オタクには秘密が多い。例えば、佐島勤の『魔法科高校の劣等性』シリーズ。
主人公の司波達也には秘密が多い。文体からあふれ出るオタク感は、作者があふれんばかりの世界観=設定を地の文で詰め込むからだろう。
作者は作品の世界観をよく知っているが、読者は知らない設定も多い。この不均衡のなかでオタク的作者が雄弁に語る。それがこの作品のオタクっぽさの原因だ。
知っている、というのは、空手をやっているだとか剣道をやっているだとかいうことよりもずっと強い。
例えば、アニメ「ケムリクサ」を見てみれば、記憶を失った状態で現れる少年・わかばは物理的に強いわけではないが、知恵と好奇心でピンチを救っていく。これこそがオタクの真髄と言って構わないだろう。
と言えば、そこからアニメ「けものフレンズ」にも言及したいところだ。ここでもかばんちゃんは、その好奇心でピンチを救っていく。
ここにも「気がつく」かばんちゃんと、「気がつかない」フレンズという不均衡がある。別にそれで異世界を統治しはじめたりはしないが、この不均衡は注目に値する。
このアニメの特徴は、登場人物が決して否定されないこと、肯定されつづける事だろうと思う。
そう、オタクたちは強くなろうとする。
なぜか。
それはオタクたちがなにより「肯定されたい」と願う生き物だからに他ならない。
そんなわけで、次回は絶対的に肯定してくれるキャラクターたちの作品を見ていきたい。
written by 虎太郎