【肯定するオタクたち⑥】彼らは一緒に登場しないがきっとデキている

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恣意的に不均衡を作る

オタクは「肯定されたい」という願望を満たすために、自分が「知っている」一方、その対象は自分を「知らない」という世界を構築しようと試みる。

この不均衡を、オタクは恣意的に作り上げようとする。その手段は2つしかない。

  1. 対象を深く知る
  2. 対象を知っていることにする

「対象を深く知る」というのは、調べる場合もあるだろう。

アニメオタクが声優に詳しくなるのは必然かもしれない。アニメ「ポプテピピックアニメ「おそ松さんなどはストーリーそれ自体以上に、その声優に注目した盛り上がりが気にかかる。

いずれも、「私は気づいた」「私はこれを楽しめる人間だ」というような特権意識が垣間見えるところである。

それ以上に容易に思い出されるのは、「考察」という文化である。

「考察」とは、自らを作品世界に没入させるのではなく、その作品世界のメタに位置し、「知ろう」とする試みに他ならない。つまり、作品世界と自分の間に、不均衡な関係を構築する営みである。

それは、のび太が劇場版で「未知の世界」を救うことにコロニアリズムが垣間見えるように、「支配しよう」という試みと通じるものがある。

「支配しよう」は「所有しよう」と読み替えてもいいと思うが、当然そこには反発があってしかるべきだ。

作り手としては、その「所有しよう」という「考察」に対して、「大いなる誤解」と言いたくなるのだろう。

「大いなる誤解」かもしれないが、作品をメタ的に「考察」し「所有しよう」とする。そこには当然不均衡がある。しかしこれはオタクの生態としては仕方の無いことである。その不均衡の中で「知っている」ことこそが、オタクの自己肯定に重要なのだ。

別に「大いなる誤解」でもいい

オタクはそれが「大いなる誤解」であることについてためらいを覚えない場合もある。

それが2つ目である。オタクたちは「対象を知っていることにする」ことで、恣意的に不均衡を作り出すのである。

例えば、アニメ「Free!を思い出してみよう。描かれているのは田舎の男子高校生たちが水泳に勤しむ姿だが、腐ったファンたちは、そこに同性愛を読みとく。

もちろん、そんな様子は描かれていない。しかしオタクたちは、描かれていないものを描かれていることにするというメタ的な特権をフルに活用して妄想するのである。

その妄想は、誰よりもその妄想した人が「知っている」世界の構築である。

言いかえれば、二次創作とは、作品の「所有」と、自分が特権的地位を占められる不均衡の創造である。そこに、「本当はどうなのか」などというリアリズムは求められていない。

七瀬遙と松岡凛がデキているはずがない、などというリアリズムは必要ではなく、「デキていたら」という妄想の世界を創造し、所有することにこそ意味があるのだ。

実は「Free!」に関して言えば、監督・内海紘子の異様なまでの筋肉へのこだわり、女性っぽい名前が、そうした妄想を後押ししている節はある。むしろ「所有してください」と言わんばかりの様子は、オタクたちに媚びていると見ることもできるかもしれない。

結局オタクとは

オタクの生態について、6本の記事を通して考えてきた。その様子は以下の通りにまとめられる。

  1. オタクは肯定されたいと願う。
  2. オタクは肯定されるために、自分(たち)を世界から隔絶する。
  3. オタクは隔絶された内部でのみ「知っている」という特権的地位を占める。
  4. オタクたちは特権的地位を利用して〈救い〉になろうと試みる。
  5. オタクは隔絶された外部では「ふがいない」ことも多い。
  6. オタクは「知っている」が「知られていない」という不均衡を維持するために、恣意的に「知ろう」とする。

オタク論をあまり参照してこなかったので(というか、それが自分に課したルールなのだが)、ここで一気に紹介したい。

3は、東浩紀言うところのゲーム的リアリズムに通じる。というのも、ゲームにおけるプレイヤーは、ゲーム内のキャラクターに対して「全体を見通す」というような特権的地位を占めるからである。

また、この「知っている」という状況は、データベース消費へと繋がる。キャラクターの向こう側にあるデータベースについて「知っている」ことが、作品を「所有する」という営みへと繋がるからである。

5は、町口哲生のネットワーク的リアリズムや関係性消費といった概念を想起させる。もはや既存の「設定されたもの」に囚われず、そのメタに立ち、「描かれていないもの」を妄想し「所有する」営みは、関係性消費に他ならないからである。

ここまで頑張ってみたものの、オタクと呼ばれる人々に対して、失礼な発言があったかもしれない。文末にはなるが、謝罪しておきたい。

 

written by 虎太郎