【肯定するオタクたち③】肯定されるためなら南極にも行き戦車に乗る


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肯定されるためのユートピア

肯定されたいオタクたちは、自分たちのユートピアを築き上げる。

言ってみればそれが劇場版の「ドラえもん」における「未知の世界」であり、異世界モノにおける異世界である。

しかし、いちいち別の世界に飛び立っていては疲れてしまう。

オタクたちは肯定されるために、適度な手間と時間をかけて非日常へと飛び立つ。

例えば、アニメ「宇宙よりも遠い場所では4人の女子高生が南極へ向かう。

玉木マリは反復される日常から南極へ逃げ出し、小淵沢報瀬は母親を求めて南極へ向かい、三宅日向は居心地の悪い高校から逃げ出し南極へ向かい、白石結月は南極で友達を作る。

4人とも、南極でお互いを肯定しながら友情を育む。

わざわざ南極まで行かなくとも、(やはりアニメしか見ていないが)アニメ「ゆるキャン△では女子高生が自分たちだけでキャンプをする。

年頃の女性だけでキャンプ、など恐ろしいばかりだが、自分たちを肯定することに余念がないオタクたちは、女子高生であってもキャンプに行かせる。

キャンプならまだ安全な方で、アニメ「ガールズ&パンツァーで女子高生たちはついに戦車に乗る。

「女らしい」戦車道なる競技で母校を廃校の危機から救おうとするこの物語だが、特筆すべきは主人公(と言っていいだろう)の西住みほが家族から見捨てられながらも、戦車道に共に勤しむ仲間から認められる=肯定されるという点だと思う。

こちらは「自分たちしか知らない」というユートピアを築き上げ、外から批判されることなく、その強固な壁の内側で、自分たちを肯定しあうのだ。

「肯定」されるためなら時間だって飛び越える

空間を超越し、あるいは隔離してまで「肯定」を求めるオタクたちにとって、時間を飛び越えるのは当然だと言っていい。

アニメ「魔法少女まどか☆マギカはタイトルからして主人公が鹿目まどかであるように思う一方で、単純にそうとも言えない。

クラスにやってきたミステリアスな転校生・暁美ほむらは実は魔法少女であり、その後魔法少女となって鹿目まどか暁美ほむらをかばって死ぬ、その未来を変えるために何度も同じ時間を繰り返しているのだった。

なぜ暁美ほむら鹿目まどかを救おうと試みるのか。

それは何より彼女が鹿目まどかによって救われたからである。

この場合、救われる=肯定されると言い換えて問題ないだろう。

つまり暁美ほむらは、自分を肯定してくれる鹿目まどかを守るために、何度だってタイムリープを繰り返す。

さて、タイムリープと言えば、アニメ「STEINS; GATE」に触れないわけにはいかないだろう。

こちらも主人公・岡部倫太郎が自分を肯定してくれる椎名まゆりや牧瀬紅莉栖やラボメンたちを救うためにタイムリープを繰りかえす。

これらの「繰りかえして何とかする」であったり、「繰りかえす本人は記憶を保持しつづける」と言った設定は、東浩紀曰くゲーム的リアリズムの影響下にある作品だが、このシリーズではこうした既存のオタク論には触れないルールだ。

ただし指摘しておきたいのは、こうした作品群において見られるのは、「自分は人知れず戦っている」といった感覚だろう。

先の記事で指摘したとおり、オタクたちを支える根本の感覚とは、「周りは知らないが私は知っている」という優越感なのだ。

この優越感はともすれば崩壊しやすい面もある。漫画『クズの本懐で、本命の想い人の代わりに付き合っているフリをする安楽岡花火と粟屋麦は、自分たちしかそのことを知らない優越感から、一種の自己陶酔に陥っているようでいて、自分たちがあくまで「異常」であることや、「本命の想い人への想いは成就しない」という点で自己嫌悪に陥ることもある。

もちろん、こうした「危うさ」に自覚的なオタクばかりではない。

アニメ「ポプテピピックをめぐるTwitterの盛り上がりを思い出してみれば、それを支えているのがオタクたちの、「私たちは元ネタに気がつく」「私たちは声優について詳しい」という優越感だったことが思い出される。

オタクたちは多くの場合、その特権意識の中に安住している。「知っている」という特権意識は、いわばそれ自体が遊戯的な側面があるのだが、そちらは次々回ぐらいに触れることにしておきたい。

オタクたちが自分を肯定する一番大きなルールは、「隔離されること」である。

それは「外から見られない」というのが重要になる。

隔離された内部で、南極を満喫したり、キャンプに行ったり、戦車に乗ったりしてお互いを肯定することもあれば、隔離された外部から「よく知っているね」と賞賛されることもある。というか、オタクたちはそのようにして肯定されたいと願っているのだ。

でもやはり日常の中で、その隔離というのは容易ではない。

けれど手っ取り早く自分を世界から隔離してしまう方法がある。それは、カメラを覗き込むことであり、絵を描くことである。

詳しい方は、そんな作品がいくつか現に存在していることに気がつくだろう。

 

written by 虎太郎

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