【感想】アニメ『ゾンビランドサガ 』〜なぜゾンビがアイドルを!?〜

2018年秋アニメ『ゾンビランドサガ 』で、

「なぜゾンビがアイドルをしなければならなかったのか?」が本稿のテーマです。

 

TVアニメ「ゾンビランドサガ」公式サイト

ゾンビが佐賀でアイドルをする!! というツッコミどころ満載な設定から、いかにして物語が構成されているのかを見ていきたいと思います。(ネタバレは最小限にします)

 

そもそもゾンビとは「時間の停止」を表すものだと考えられます。ゾンビは死の段階で固定されて「成長」することが出来ません。その一方で、昨今のアイドルグループは「成長」に焦点が置かれます。「成長」を見守る、というのが若いアイドルグループを応援する際の大きな楽しみです。ゾンビ(時間の停止)とアイドル(成長)は本来相反するものなのです。

 

さてそこで、我らがゾンビィはどうするのか?
はい、思いっきり成長します! 勿論肉体面ではありません。精神面でです。

 

私が各エピソードから感じ取ったのは強い「未来志向」です。ゾンビなのに、いやゾンビィだからこそ「未来」に向かっていきます。

 

フランシュシュのメンバーの死因は様々ですが、肉体の傷跡に少女たちの辛い記憶ははっきりと刻まれています。そこでは、ゾンビとして「時間が停止」してしまっていることで、過去は変えられないということが視覚的に明示されます。

 

“あいつらはゾンビィだが、生きようとしている。お前らは、いつまで腐ったままでいるつもりだ”

3話での巽幸太郎の台詞です。「腐ったまま」というのに二重の意味がかかっています。

 

私たちは、某メンバーのようにトラックに轢かれて死んだわけではありませんし、ゾンビとして復活したわけでもありません。けれど、過去を引きずってどこか諦めていないか、日常をゾンビのように生きてはいないかと問いかけられているように感じます。

 

???「現代人は、もはやゾンビじゃい!!」

 

そんな(私を含めた)現代人にとって、アイドルをするゾンビィというのは、なんとも輝かしくみえることか。(ハリウッド仕込みの特殊メイクをしているとはいえ)腐敗した身体なのに、私たちより、よっぽど生きているように見えます。

 

最初はわけわからんと思いつつもいつの間にか本気で応援してしまっているのは、自分と重ねているのではないか、自分の想いをアイドルに託しているのではないか。

 

「ただのアイドル」ではきっと駄目なのです。「ゾンビ」が「アイドル」をするから、私たちは応援したくなるのだと思います。

 

結論
???「細かいこと全部忘れて、なんやかんや楽しんだらOKじゃーい!!」

 

written by (2期があると信じている) 踊るサバ